I love myself. 自分を愛す。

自分を愛せて初めて人も愛せると聞き、でも自分を好きになる、愛すとはどういうことなのか?全く分からなかった私が本当の意味で自分を大切にしていこうと決め、その過程で思ったこと、気づいたことを書いていくブログです。

お彼岸に色つきで亡くなった父親の夢を見た時の話。夢の中で父に伝えることが出来たこと。それは同時に自分へのメッセージでもあること。すべてが愛ゆえであること。

父が亡くなって5年が経とうとした頃だった。

元彼との失恋の苦しみから心のことを学びだして

春が過ぎ、夏が終わって、秋のお彼岸の最終日の朝だった。

初めて父の夢を見た。

色つきだった。


父はガンで亡くなったが、

夢の中の父も病気だった。

ぼろぼろのよろよろで、おまけに大怪我もしていて、

頭にぐるぐる包帯を巻いていた。

自力でたっているものの、危なっかしくふらふらしていて

そんな状態なのに、当然のように仕事しようとしてた。


その様子に言葉を無くす私の前で、ぐらっとよろめき頭を打って吐き、

そして頭から思いっきり血が噴き出した。

その血が、夢なのに真っ赤だった。


そのまま倒れそうになったところを

私が慌てて全身で支えた。

夢なのにものすごく父の重みを感じた。

必死で支えながら、お父さん!働かなくていいから!

と叫んだ。

そしたら父が、働かなくていいの?と力なく聞き返してきた。

働かなくていい!いてくれるだけでいいから!

と言うと、

いるだけでいいの?とまた聞き返してきた。

いてくれるだけでいい。と答えると

ありがとう・・・と父は言った。


そこで目が覚めた。

思いっきり泣いてた。

夢で泣くのは三回目だった。

一回目は大好きなおばあちゃんが亡くなる夢を見たとき。

二回目は子供を助けることが出来なかった夢を見たとき。

三回目がそれだった。


父は比較的裕福な家で生まれた。

でも父の母親は、いや父の父親が決めたのか?

わからないけど、父は、父方の祖父の家に養子に出された。

幼い頃に。

祖父の家は資産家だったらしい。

父は兄弟が多く末っ子だったので、家を継ぐわけでもないし、

父の両親は父の将来の為にそれがいいと思って養子に出したんだと思う。


でも、

祖父は、孫である父を可愛がると思いきや、まだ真っ暗な早朝から夜遅くまで

こき使ったらしい。

その頃の話を何度か父から聞いたことがあって、

なんてひどいおじいちゃんなの?!と怒りを感じていたが

父はいつも冗談のように話していた。

父の両親に対しても、なんで?!という気持ちがずっとあったが、

父の母親が父のことをすごく可愛がってたことを思うと

本当はどれだけか辛かっただろうと今は思う。


父は、あまりに辛くて、実家に何度も泣き帰り、

そしてその都度、母親から祖父の家に戻されたと、父が亡くなったあと私の母から聞いた。

なんてひどいことを、と思うけど、

おばあちゃんも言葉にならないほど辛かったに違いない・・・

おじいちゃんも・・・


最終的に父は実家に戻れたが、もうだいぶ大きくなってからのことらしい。

たしか高校生の途中。

これも父が亡くなってから聞いた。

戻れたことだけ聞いてたので短い期間で戻れたんだと思ってた。

まだ幼い頃から、そんな多感な時期までそんな状況で暮らしていたなんて

今想像しても胸が痛む。


父親は、そんな祖父の下で、

一生懸命働かない自分には価値がないと思いながら育ったに違いない。

もしかしたら、実家に泣き帰ったときに母親から、

一生懸命頑張ったら帰ってこれるから、とか言われてたかもしれない。

その場しのぎの慰めで。

父もかわいそう過ぎるし、おばあちゃんもどれだけ辛かったか・・・

昔のことだけに、おばあちゃんもおじいちゃんに何も言えなかったのかもしれない。

おじいちゃんと、私はあまり近しくなかったし

なんだか苦手だったのでどういう人だったのかよく分からないけど、

でも私の結婚式の時に私の将来を気にかけてくれてたところをみると

父のことも大切だったに違いない。

おじいちゃんもおばあちゃんも父への愛ゆえに養子に出した。

辛い思いをしていても、それが父の将来のためだとそのときは信じてたんだ。

本当は父は、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいることのほうが当然に幸せだったけど。

でも、すべて愛ゆえだった。


生前、親戚が家にきたりして皆でわいわいやってるときも、

ムードメーカーだった父は、場を盛り上げながらも

洗い物をしたり色んな準備をしたり片付けをしたりして

少しも座らなかった。

父にもゆっくりしてほしくて、お父さんも座ってー

とみんなが言っても、お父さんはそういう星の下に生まれたからいいの。と

笑いながらいつも言ってたけど、あれは本当にそう思ってたのかもしれない。

普段もなんやかんやと立ち働いて、ゆっくりくつろいでる姿を見たことがない。

母も同じくだけど・・・


私が離婚した夫と、親の反対を押し切って結婚した時、

父は私に「〇〇(わたし)はお父さんとお母さんを捨てた」と言った。

そのときは私は、すごいこと言うな・・・と思って

あまりに驚いて何も言えなかったけど

 (ていうか、親に、しょうもない反発はしたことがあっても

  本当に言いたいことは言えたことがなかった。2年前までは。)

父は自分が、親から捨てられたと思いながら育ったと思う。

今だから分かるけど、だからそういう言葉が出てきたんだと思うとものすごく痛ましい・・・


でもね、本当は愛されてたんだよ、お父さん。

おじいちゃんとおばあちゃんに。

生きてるうちにそれに気づいて伝えたかった。

そしたらきっとガンも治ってた気がする。


父の夢を見た。

お彼岸の最終日に。

お彼岸に、たとえ夢の中でも、

いてくれるだけでいい。と父に伝えることが出来てよかった。

そうか、存在してるだけでいいのか・・・と父は思ってくれただろうか


存在してるだけでいい。

在るだけで価値がある。

これは私たちみんなに言えることだから

それを父が夢で教えてくれたようにも思う。


実は私は、すごくよくしてもらったから感謝はしてたけど、

父が元気なうちは父のことが好きじゃなかった。

なぜかというと、いつも嫌な気持ちになることばかり私に言ってきてたから。

今だからこの表現が出来るけど

当時はそういう実感としてはなかったけど

つまりは、愛されてる実感がなかったから。


でも今はわかる。

物心ついたときから大人になってもずっと、

そんなことしたら誰それにばかにされるよ!

そんなこといったら誰それに笑われるよ!

と怖い顔で言われ続けて、

(前述の嫌な気持ちになったことはまたそれとは全然違うけど、

でも、それも事情があったのかもしれない。

親も人間だから・・・

私自身がダメだめな親だから、今はそれも理解できる・・・)

このままの自分じゃいけないんだと無意識に自己否定の塊になったけど、

そして最近までそれに気づきすらせずに生きてきたけど、

それは実は父自身が、ばかにされちゃいけない!と思って生きてきたからで

だからこそ私が人にばかにされてほしくない!

という気持ちからだったんだと気づいた。

愛ゆえだった。

すごく大切に育ててくれた。


街中で父に雰囲気が似た人を見ると、今でも涙が出そうになる。


さっき、ふとしたことで父を思い出してこれを書いた。

涙が止まらなかった。

父からこれ以上ないぐらい愛されてたことを改めて感じた・・・

母からも。



親とのことを書いたものです。
i-love-myself.hatenablog.com


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元彼との失恋から立ち直るまでの話です。
i-love-myself.hatenablog.com




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