I love myself. 自分を愛す。

自分を愛せて初めて人も愛せると聞き、でも自分を好きになる、愛すとはどういうことなのか?全く分からなかった私が本当の意味で自分を大切にしていこうと決め、その過程で思ったこと、気づいたことを書いていくブログです。

真実は自分の思い込みとは全く違う場合が多い。


ダイアログ・イン・ザ・ダークに行った時のことです。
www.dialoginthedark.com


気になることはやろう。
やらない理由を探さない。
と決めて、失恋からまだ立ち直ってなかった時のことです。

i-love-myself.hatenablog.com


以前なら、暗いというだけで怖いから行こうとも思わなかったし、
行くとしても絶対誰かを誘って行ったと思います。
でも、なんだか気になって、一人でも(と言うか私自身と一緒に)充実した時間を過ごすと決めたこともあり、勇気を出して申し込みました。


そして当日。


真っ暗闇の中、絶対怖い!と思ってたけど、怖がりの私が、やってみると驚いたことに
全く怖くなかったんです。


始まる直前は、怖さ?への緊張からだったのか、脳の現状維持機能もしくはエゴの抵抗からだったのか、泣きそうになったほどだったのに!
正直に言うとちょっと涙が出てました。いい大人が・・・(他の人は気づいてないから大丈夫)


でも
実際暗闇(本当に真っ暗!でした)の中に入ると、アテンド(案内してくれる方)の二
人ともう一人の参加者の声が、
「聞こえてる」
というだけでものすごい安心感がありました。


暗闇に入る前の説明では、ぶつからないようにする為なのか、しゃがむ時や立ち上がる
時は声をかけあい、そして出来るだけ常に声を出すように言われます。
それを聞いた時は、ほんとにずっと声を発して自分の存在を知らせておかないと不安・・・と思ったんですが、実際始まって暗闇の中に入ると、
経験したことのない静けさの中、みんなの声が「聞こえてる」だけで安心で、
自分の存在を知らせてないと不安。ということは全くありませんでした。
もし構わないなら、ずっと黙ってていたい。と思ったぐらいに。


ということは、
安心感の中にいれば、わざわざ自分の存在を周りに知らせる必要ない。ということなの
か?
「わたしを見て!(他者に注目されていないと不安になる)」がない世界・・・


そもそも「わたしを見て!」っていうのは、誰より自分自身が自分のことを見てないか
らなんですが・・・


見えてる世界にいると、他者から私が少なくとも視覚的には見えてるにもかかわらず、
自分の存在感がないと感じるようなことがあると寂しくなり、不安になる。
あ、それなら、暗闇の中でも、もし私の存在を気にしてくれる人が0だったら、それは
同じなのかも・・・
暗闇の中でアテンドの方が常に気をかけてくれたから、
見えなくても気にかけてくれる人がいるから、
だからわざわざ自分の存在を知らせなくても安心感があったのか・・・
設定とはいえ、「家族」という繋がりの中で。


「本当の家族」って、安心してそのまま存在出来る関係、自分を作らなくていい関係
なんだね・・・きっと。
自分を寛いでいられる状態・・・
安心して、ただ、いればいい。
(周りに気を遣わないとか何にも行動しないとかそういうことじゃなく、周りの目を変
に気にせず存在する。という意味で)。
そういう状態なんだね・・・
そしてそれは、自分自身が自分に寄り添う(例えば、自分の感情をとことん見つめて共
感してあげる。)ことで実現する・・・


時間がきて暗闇から外に出た。
あっという間の40分だった。
目を慣らすために真っ暗でもない、明るくもない部屋でみんなと一緒にしばし過ごす。
帰りたくない気持ちだった。
それをアテンドの方に伝えると、「また帰ってきて」と言ってくれた。
とても暖かい気持ちになった・・・


「見える」世界に戻っても、しばらくは何だかものすごく寛いだ気分でいれた・・・
帰り道、街中の喧騒も驚くほど気にならなかった。
市街地は、いつもなら人とぶつからないように歩くのが大変なのに、
山の様にたくさん人が歩いていたにもかかわらず、自分も周りもぶつかりそうにもなら
ず、まるで自分しかいないような感覚だった。


「何でも見える」ことで、今までどれだけジャッジしてきたか・・・
他人を、自分を・・・


見えることで、目に写ったものを自分の思い込みによって良い悪いと決め付け、他人を
批判し、自分を批判し、結果どれだけ自分を苦しめてきたか・・・


真実は自分の思い込みとは全く違う場合が多い。
やっとわかってきた。
思い込みの目で見ることで、真実とは違う世界を自分が創り上げる。
それが楽しいものであればいいけど、それまでの私は
不安からの思い込みの目で、そのまま不安が現実化した世界を創り上げていた。


色眼鏡で見るのをやめよう。


せっかく見えるんだから、「見える」ことの素晴らしい面を体験し、
せっかく見えるんだから、見ることで、見たもので、苦しまないようにしていきたい・・・


自分でいることに寛ごう・・・