I love myself. 自分を愛す。

自分を愛せて初めて人も愛せると聞き、でも自分を好きになる、愛すとはどういうことなのか?全く分からなかった私が本当の意味で自分を大切にしていこうと決め、その過程で思ったこと、気づいたことを書いていくブログです。

楽に生きたいなら

やめたいのにやめられない思考の癖

気にしたくないのに気になってしまう事柄


しんどいからほんとやめたいのに、やめられないとしたら

それは、本当はやめたくないから。

気にしたいから。


なぜって

その思考癖をやめるべきじゃないと思ってるから。

深いところで。


しんどいんだけど、

しんどくても、その思考をするべきだと思い込んでる

その思考をしなきゃいけないと思い込んでる

気にするべきだと思い込んでる

全部無意識。


どうしてそんな風に思い込むのか



気になってしまう事柄は、親に教え込まれたものと反することが多い

学校や社会で言われたことと違うことが多い


だからいちいち気にすることで、

ずっと守ってきた思考の癖で思考することで、

親が望んだ通りに生きようとする


それが全ていけないわけじゃないけど、

親も完璧ではないし、

他者軸で生きることを教え込まれる場合だってある


結果、生きづらくてしょうがない人生を歩むことになることもある



だから


やめたいのに今までずっと守ってきた思考の癖や

気にするとしんどくなるのに、どうしても気になってしまっていたこと、

それらはもう手放していい


どうやって?



気にしなくてもいいよ


自分にそう言ってあげるだけ




しんどくなる思考癖を持ち続ける必要ないよ


自分にそう教えてあげるだけでいい



親から教え込まれたものだけど、

それを採用したのは自分自身


跳ね返すことを選ぶことも出来たかもしれないけど、

跳ね返していいなんてわからなかった

小さな子供にそんな選択肢はなかった

だから素直に全部採用してしまった


でも今なら自分に教えてあげられる


自分がしんどくなる思考パターンなんて捨てていいよ


気にしたくないなら気にしなくていいよ


もう楽に生きていいよ




受け入れた先にあるもの

世の中いろんなことがある

自分の周りでもいろんなことがある

当然ながら、喜べることばかりではない。残念ながら。


不満に感じることもあれば、理解不能なこともある

自分ではどうにも出来ないこともある

それゆえ不安になることもある

でもそこに囚われると疲弊するだけ

じゃあどうすればいいのか


そもそも、すべての人を理解することなんか出来ない

一人一人違うんだから。

理解しようとするからしんどくなる

コントロールしようとするからしんどくなる

出来ないことをしようとするからしんどくなる


そして、自分の基準で測るから理解できない

たとえそれが、日本の大多数の人の基準と同じである事柄であってもだ


これだけたくさんの人がいて、皆が同じであるわけがない

だから、理解できない人がいて当たり前


普通じゃない!!と思う人が存在すること自体が、

ほんとはある意味普通なのかもしれない

変な人がたくさんいても変ではない


良い悪いじゃなく、その人達を、

理解できないその状態を、

そうなんだ。と捉える

ただ、そうなんだ。と受け入れる


それが、あるがままを受け入れるということ



それは自分を楽にしてくれる


自分を受け入れることにも繋がる 


自分を守ることにもなる 


そして

自分を楽にしてあげられたら

大切な人のことも楽にしてあげられる


自分を受け入れられたら

大切な人を真に受け入れられるようになる



自分が自分を守ることが出来るようになると

大切な人も自分で自分を守れるようになる



魂が喜ぶ

朝 目が覚めて

と言ってもまだ目を開ける前の

意識だけが戻った状態のときに、

今日も目が覚めて幸せ。

と、声に出さずに言ってみる。


今日も生きて幸せ。

と、意識の中で言ってみる。


そしたら、口角が勝手に上がるんだよね


きっと、魂が喜んでるのかもしれない


体が、自分のすべてが喜んでるのかもしれない


生きて、存在して、それ以上の何でもなくても、

何が出来るからだとか、

こういうところが優れてるからとかそういうことじゃなく

生きてる

それだけで十分だと、自分が認めてることになるんだね


仕事中にも言ってみた

心の中で。

そしたらやっぱり、マスクの中で口角が上がった




受け取る力

欲しいものを受け取っていく


催促するわけではなく、差し出されてたのに

遠慮して受け取らなかったもの


本当は欲しいのに、私なんて、

僕なんてと受け取らなかった物、言葉、気持ち


相手の要望を最優先して、押し殺してきた自分自身の気持ち


不必要な遠慮はなくていい

自分を下げる必要もない


自分の気持ちさえ受け取ってこなかった

欲しいものは受け取らないくせに、

自分の気持ちまでも差し出して

それと真逆の相手の気持ちを受け取ってきた

それが親切だと思ってた

それが愛だと思ってた


でも、気づくとしんどくて、しんどくて・・・

どんどん重くなっていく



そんな、自分にも相手にも失礼なことはもうやめよう



巷では、人に従順なことを素直って言うけど

本当は

自分自身の気持ちに従順なことを素直と言う


欲しいものを、ちゃんと受け取る力を素直と言う



そして

受け取ったらちゃんと感謝する


感謝できると幸せになれるけど、

ちゃんと受け取って、

ちゃんと自分自身に素直でいて初めて、

ちゃんとした感謝の気持ちが生まれる




あなたはそこにいるだけでいい

私はここにいるだけでいい

あなたはそこにいるだけでいい


生きて楽しんでるだけでいい

宇宙にとって。魂にとって。

楽しめなければそれでいい


私がここに「居るということ」が

あなたがそこに「居るということ」が、

私が私で「ある」ということが

あなたがあなたで「ある」ということが、

自分だけでなく

大切な人と、全く知らないただの通りすがりの他人をすらも幸せにする


そのことをわかっていればいいだけ

そして自分の本心の通りにしていればいいだけ


我慢してることに気付いて

我慢するのをやめていく


出来るのにやらないやりたいことを

打ち消さずにやっていく


そういうことが、自分をも人をも幸せにする



小さな願いを叶えていることに気づき、もっと深い望みを叶えていく

いつもと違う出来事が起こったとき

自覚がなくても、それは自分のなんらかの願いが叶っている


もしその出来事自体は特に望んだものではないとしても

それに付随して起こること、

結果として起こる何らかのこと、

その部分が叶っている


だから、いつもと違ってて「え?」「あれ?」と思うことがあった時に

もしかしたら自分はこれを望んだんだろうか?と思ってみるといい


すると、出来事自体とは別の、望んでいた何らかのことが叶ったことに気づく

そしてそれが叶ったはやさに驚くはず


実はこうやって、みんな自分の願いをどんどん叶えている


でも、いつもと違う出来事だけに目を向けて、そこに囚われると

自分が願いを叶えてることに気づかないし

そして、真に望んでいることからどんどんずれていってしまう。 


だからまずは、自分はこれを望んだんだろうかと思ってみる

そして結果的に何か望んでいたことを叶えたことに気づいたら

自分ってすごい!って思ってみる

だって願いを叶えたんだから。

出来事自体は特に望んだものじゃなかったとしても

結果的に他の願いを叶えることが出来たんだから。


自分を褒めて、ガッツポーズをとる

叶ったことに感謝する


そしてそのあと、その時自分が望む物事を思い浮かべる

望みが、〇〇になりたい。

だとしたら、

どうすれば〇〇になる?と質問してみる。

すると、どんどん願う方向に引き寄せられていく。


よく聞く話だけど、

なにか悪いことが起こった時、

どうしてこうなるの?!

と思う(質問する)と、またそういうことが起こる

またそうなることを脳が探し出し、宇宙がオーダーに応えるから。


だからその逆をいく

どうすれば〇〇(望むこと)になる?

するとそうなることを脳が探し出し、宇宙がオーダーに応えてくれる


引き寄せとは、望む物事を引き寄せることでもあるけど、

自らそっちに引き寄せられていくことでもある☆ 



本当に叶えたいなら

なにかをやりたいと思ったとき、

やりたい

でも今はお金がないから・・・と思うと叶わない

仕事を休めないから・・・と思うと叶わない

お金がないから・・・

仕事を休めないから・・・

の先に、だから今は「出来ない」があるから。

「出来ない」が叶う


やる ♪ と決めた時は、

お金が十分にない時でも叶えてきた

本来仕事を休めない日も休みを取れた


やりたい。と思ったら、それが本当にやりたいことなら、

その次は「やる ♪」と決めるだけ。



「こうなりたい」も同じ。

そう思うなら

「こうなる。」

と決めるだけ。

そして、ゆっくりでもいいから進んでいく

方向が違ってたと気づいたら、方向転換すればいい

慌てない、慌てない

時には止まってもいい

また、ちょっとずつでも進んでいけばいい


一人じゃない

みんな一人じゃない