I love myself. 自分を愛す。

自分を愛せて初めて人も愛せると聞き、でも自分を好きになる、愛すとはどういうことなのか?全く分からなかった私が本当の意味で自分を大切にしていこうと決め、その過程で思ったこと、気づいたことを書いていくブログです。

英語ぺらぺらになりたいと思って英語に触れてたのが実は自己否定と繋がってた話

6年前 突然、英語が喋れるようになりたいと思った

思えば国家資格の試験に合格してしばらく経ち、心身の苦痛から解放されたところだった

基本ゆるーく、ときに英語漬けに、ときに1,2ヶ月全く英語に触れない時がありつつも

なぜか英語に対する熱が消えなくて、

英語に触れてる時だけは嫌なことを忘れることも出来た

でも、なぜこんなに長い間飽きないのか(笑)、熱が消えないのか不思議だった


英語がしゃべれたら海外旅行に行った時に便利だし安心だし安全だと思ったし、

現地のホテルマンとかレストランのスタッフとかと気軽に会話を楽しむことが

出来るのもとっても楽しそうだと思ったことに違いはない

でもそれにしても、時々休憩しつつとは言え、基本ゆるくとはいえ、

やはり不思議で、きっと何か理由があるんだと思っていた

今は分からなくても、英語が話せたら都合がいい何かがきっと待ってるんだと思った

でもそうじゃないことに気づいた



なぜ英語を勉強してるのかと聞かれることがよくある

そういう時わたしは、英語でコミュニケーションがとりたいからと答えてきた


でも

そもそも私は人付き合いが得意ではない(!)

むしろ苦手な方だ

英語が話せるようになって英語でコミュニケーションがとれるようになりたいと

長年思ってきたけど、

そもそも、私は日本人同士でも誰彼となくコミュニケーションをとりたいタイプではない(!)


もちろん大切な人たちとコミュニケーションとるのはとっても好きだし、

友達や会社の人とも会話を楽しんではいる

でも人見知りだし、相手に心開くまで結構時間がかかる

なので、知らない人とは、日本人同士でも話をしたいと思わない

当然、日本でホテルマンやレストランのスタッフと別に話をしたいとも思わない(笑)


じゃあ・・・

本当は英語で別にコミュニケーション取れるようになりたかった訳じゃないんじゃない

だろうか

英語でのやり取りがかっこよく見えて憧れただけなのかもしれない


そして

私はずっと長い間本当の自分以外の誰かとして生きてきた

自分自身でいることを許されなかったから、

作り上げた自分を自分だと思って生きてきた

常に頑張っていないと愛されないと思っていた

何に対しても全力投球しないと愛されないと思っていた


楽しくて頑張ったり全力投球したのならよかったけど、

私の場合は条件付きの愛を得るための行動であり、

そうしなければ愛を得られないという恐れからの行動だったから

実際そうやって生きてきて、いつもとても疲れていた


リラックスすることが大切と聞いてもどうすればリラックスできるのかわからなかった

気分転換したほうがいいと言ってもらっても自分のために楽しむということに罪悪感が
あった

いつもその時より上を目指していないといけないと思っていた

常に向上心を持っているべきだと思っていた


だから、もしかしたら国家試験に合格してホッとして、

それでもしばらく心と体が疲れたままだったのに、

それがちょっとマシになった途端に

次にまた何か目指さないといけないという焦りのようなものから、

突然英語がしゃべりたくなったのかもしれない


英語は学生の時から好きだったし、

喋れるようになりたいとちらっと思ったこともあった

でも、ちらっと思った程度で、英会話を習いに行こうと思ったことはなかった

まあ結構最近まで、いろんな面でそんな余裕がなかったってのもあるかもしれないけど

でも、独学で勉強しようと思ったこともなかった。


今、

英語が喋れるようにならなくても別にいいやと思っている

もちろん話せた方が便利だし楽しいは楽しいだろうけど、

話せないとダメ、なわけではない

でも私は、話せるようにならないとダメ、と思ってた


もう自分を追い立てなくてもいい

それよりリラックスしていたい。

楽しむために生まれてきたんだから


英語に触れている時は楽しかったし

英語が喋れるようになったら英会話カフェのイベントなんかにも行って

クリスマスパーティーなんかにも参加して楽しみたいと思ってた

でも私そもそも人見知りなんだよ


もう自分を自由にしてあげる

その上で英語に触れるのはいいと思う

もっとリラックスして日々の生活を楽しんでいい


今のまま楽しんじゃいけない、と無意識に思ってた

英語話せないと海外旅行楽しんじゃいけない、とか。

人に対してじゃなく自分に対してね。


今の自分のままで楽しむことを許してなかった

自己否定が英語にも関係してたんだってわかった


英語話せなきゃだめ!!って自分を責めてたけど、

必死になってたけど(気持ちだけ(笑)でもその気持ちがしんどいから) 、

必死にならなくてもいいじゃん、って思った


英語話せなくても楽しければいいじゃん、ってやっと思えるようになったというか。

だから、必死な気持ちになるのはやめた


そして、今のいま、楽しんでいいんだってやっと腑に落ちた

楽しむことに条件なんていらないのにね!


それに、日本人どうしでも話に入っていけなかったらつまんないと思ってたけど、

別に聞いてるだけでも楽しければいいじゃん、と思えた。

楽しくないなら聞いてなくてもいいんじゃないかって(笑)


そう思ったというお話でした♪





最後まで読んで下さってありがとうございます(*^^*)

読んで下さる方がいて、とっても嬉しいです☆

さあ、今日も深呼吸☆